弱い政治に強い株

21日の日本経済新聞社「大機小機」が辛口で面白かった。
ペンネーム「与次郎」氏によるものだが、辛口すぎる反面かなりの本質を突いている。


安倍政権下、『1億総活躍』はじめ様々な言葉が次々に生まれた。
しかし、こと『経済政策』について言えば、要するに財政と金融政策のアクセルを目いっぱい踏む。
これがアベノミクスの本質である。

与次郎氏は明快に書いている。
日本の置かれた現状を考えれば、こうした批判ももっともと言わざるをえないだろう。
「アクセルを目いっぱい踏む」ことがなぜ批判されるのか。
言うまでもなく、アクセルを踏むつけをこの先払わなければならないからだ。

将来世代へのつけ回し

残念ながら、経済は高性能のEVとは言えない。
不必要に高まった慣性を回生エネルギーとして回収し尽くせるようにはできていない。
ブレーキを踏めば、結果的に行き過ぎた慣性は熱として奪われてしまう。
経済で言えば、さまざまな経済主体の富が失われ、経済活動も低下してしまうことを意味している。
確実とは言い切れないが、経済にはフリー・ランチがない可能性が極めて高い。
与次郎氏はこう批判する。


「やがて5年に達する目下の景気拡大だが、景気はいつか必ず後退期に入る。
伸びきった財政と金融政策で、来たるべき景気後退にどのように対処するのか。
それは『ポスト・アベノミクスで宜しく』、では無責任ではないか。」

財政持続性への関心が薄れる

与次郎氏の指摘点は明確だ。
「2年で2%の物価上昇」は大きく未達となったが、経済は拡大を続けている。
金融緩和一辺倒の日銀のスタンスは適切なのか。
財政拡大が「バラマキ型」を増やす傾向が明らかなのに、なぜ財政再建をおろそかにし続けるのか。

財政政策について安倍政権が「アクセルを目いっぱい踏」んできたとまでは言えないかもしれない。
しかし、毎年2%の物価上昇実現のために大きなリスクを冒す一方で、たかが2%の消費増税を先延ばししたり、増税してもその財源を流用したりするのでは、批判されてもしかたあるまい。
新たな財源が必要なら、まず支出の無駄を省き、(おそらくそれでも捻出できないであろうから)正々堂々新たな増税を提起すべきであった。
将来世代のための財政再建の財源の流用が将来世代の教育のためなら許されるのか。
しかし、教育無償化などは、結局は将来世代の親にお金を配るにすぎない。
モラルのある親ばかりならば目的は達成されようが、そうでなければただの歪んだバラマキで終わってしまう。

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